昨夜、母親に電話をした。
私の母親は83歳になる。
用事があって電話したのだが、私とちょうど話をしたかったと何やら喜んでいた。
とりあえず私の用件を話してから、母親の”話したかったこと”が始まった。
「最近、タブレットでいろんな動画を見るのが楽しいわー!楽しくて夜中まで見てしまう!」
「孫たちがスマホで動画ばっかり見てる気持ちがよくわかったわー!」
「これは未亡人になっても楽しめるわー!」
と…。
そりゃ、良かった。
でも、あんたの相方はまだ健在ですな。笑笑
ここ数年で耳が遠くなっている母親とは話が噛み合わないことが増えてきたので、とりあえず「そうか、そうか、それは良かったね」と返す。
母親は3年くらい前に突如タブレットを買ってきた。
携帯はいまだにガラケーの母親が、そんな近未来の機械が使えるわけがなく、何かとあれば私にSOSの電話がかかってくる。
私には兄姉がいるが、2人はタブレットに苦戦する母親を相手にしていない。
姉に関してはタブレット所有に猛反対だ。
したがって母親の〈タブレットSOS〉は私にだけ発信される。
でも残念ながら、ただでさえ何をどう触ったのかわからないトラブルを、ましてやそれを説明できない母親に、私ができることはほとんど毎回皆無だ。
仮にトラブルの原因がわかったとしても、それを母親に説明するのも難易度が高い。おまけに耳が遠いときている。
私はこの身体だ、実家はバスも無い田舎だ。行って教えてやることもできない。
母親は毎回ガッカリしながら、私が来る日を待つ。
そんなことを繰り返していたので、ようやく好きな動画を見つけて観られるようになったのが、相当に嬉しかったようだ。
でも、そのタブレットがもっと役に立ったことがある。
それは、入院中の私とのビデオ通話。
そして、LINEの無料通話。
タブレットをビシャビシャに濡らすくらい泣きながら…母は話していた、と父親が話してくれた。
80歳でのタブレットデビューはずいぶん思いきった行動だったが、それが役に立っている瞬間はあるのだ。
そして今、母親は喜んでいる。
最近のお気に入りは、
孫たちの小さい頃に似た子供の動画。
だそうだ。