私の前任主治医のS先生が転勤して行った後、後任の主治医となってくれていた部長先生。
その部長先生も年内をもって転勤となった。
先日、最後の部長先生との診察だった。
部長先生は主治医としては後任だけど、事故当日から今日まで私の治療にあたっていてくれていたドクター。
部長先生の指揮のもと、S先生と共に私の治療をしてくれていた。
実質、S先生が転勤になるまでは私には主治医が2人いた。
もちろん、事故当初からそう認識していた。
手術時はS先生と共に必ず執刀してくれていた。
朝の回診も、S先生と共に必ず診に来てくれていた。
私が入院中に部長先生が言った言葉がある
「(くま)さんがここまで良くなったのは、実は僕たちの技術でも(くま)さんの努力でも無いんだよ。これは’運’なんだよ。ただ、その’運’を上げて行くことを僕たちがしただけなんだよ」
一見、医者とは思えない言葉だったけど
私はその言葉の意味を時間が経つごとにわかっていった。
私の状態は、運さえも味方に付けなければいけない状態だった。
命に別状は無いと家族に説明しながらも、死んでしまうのでは…、と言う状況だったのだと後になって聞いた。
入院中でまだ全く歩けない私に、「(くま)さんが、外来で歩いて来たら涙が出るだろうな…」
その言葉通り、退院後、部長先生は外来で私を見かける度に私の歩行動画を録っていた。
普段はグレーな毒を吐く先生なので(笑)、泣いてはくれなかったけど…笑。
最後の部長先生の診察…
先生から手を出して握手してくれて…
私が…、泣いてしまった。
先生、
不安だよ…、S先生にも言ったけど、不安だってば…
卒業かな
この歳になって、卒業と言う言葉がよぎった
ここまで治して、ここまで見守ってもらったんだ
卒業しなきゃいけないかな…。
部長先生、
私が元気になればなるほど、私への治療がいかに大変だったかをボヤいてましたね笑
「先生、私のこと忘れないでくださいよ」と言ったら
「そうそう忘れないね」と先生。
大変だったから忘れないんでしょ…、先生のスマホには私の歩行動画がいっぱい入っているしね笑
怪我の酷さと復活の触れ幅がダントツ1番、だと部長先生は私のことを言う。
この記録を破るような重傷者がこれからも出ないことを、私は願う。
こんな痛い思い、辛い思いを誰もしてはいけない。
部長先生
先生だって生身の人間だから、身体には気を付けてくださいね
いつか、再会できる日を、楽しみにしています。
本当に…ありがとうございました。