気づき

闘病記

病室での過ごし方は、動画鑑賞がほとんどだった。

病室には個々に冷蔵庫とテレビがあるが、テレビも冷蔵庫もテレビカードが無いと使用できない。

テレビカードはデイルームでしか売っていないので、自分で買いに行けない患者さんは、看護師さんや介助さんに頼んで買ってきてもらう。

私も何度か看護師さんにテレビカードを買って来てもらって冷蔵庫を使っていた。ただ、当時はコロナのニュースばかりだったので、テレビはほとんど観ることはなかった。

というより、まだまだ痛みが強かったので、お金を使ってまでテレビを観る気力は無かった。

家族からもらった携帯電話にはNetflixがダウンロードされていたので、アニメを中心に動画を観るのが日常になった。

ちなみに、家族に用意してもらった私の携帯は、Wi-Fi環境が無いと使えないので、病院のWi-Fi環境が全てだった。そう言う意味では、病棟の場所や時間帯によっては電波が悪くて切れてしまうことがあった。

それでも、入院生活が長くなればなるほど、携帯電話がありがたい存在になった。「便利な時代になったもんだ…」なんて今さらのように何度も何度も思った。

携帯1つで、電話もビデオ通話も動画も観れる、ゲームだって、音楽だって、調べものだって…、何でもできる。現代じゃ当たり前のことになっているけど、私のように人生の途中から携帯電話が現れた世代にしたら、携帯電話は本当にスゴいと思う。

だからと言って…、入院生活が快適だなんて全く思わない。

同室に4日間だけ入院した患者さんがいて、「上げ膳据え膳でご飯が出るなんて、ありがたいわー」なんて喜んでいた。私も基本が主婦なので、気持ちはわからないでも無いけれど…。

私も含めて、ほとんどの患者さんがベッドから出たくても出れない、動けない人ばかり。自分のことすらできない人ばかり。身体が動く有り難さを身を持って感じている人ばかり。

自分のことはもちろん、誰かの為に身体を動かせることがいかに有り難いことか…。

携帯の便利さも、からだが動く大切さも…、気付かされるには十分な時間と環境だった…。