元日に起きた震災。私の地域は、幸いにも目立った被害は無かった。
連日テレビに映る被災地の様子。
体が不自由な人たちの被災を自分のことのように想う。
私は踏ん張ることができないので、まず強い揺れが起きた時点で真っ先に転倒するだろう。そして揺れがおさまったとしても、私は立ち上がること自体が困難なので、物が散乱した場所では転倒したままになるだろう。
立ち上がることができたとしても散乱した物の中を歩くことは不可能なので、二次災害に備えることはできないだろう。
誰かに助けてもらわないと、立ち上がることすらできない。私を助ける行動自体が二次災害にすらなるだろう。
震災に限らず、本来の私はまだまだ誰かを助けることができる。年齢的にも、まだまだ誰かを助けることができる。はずだった…
今の私は…、誰かに助けてもらわないと自分すら守れない。
リハビリでここまで仕上げたけど、日常生活に困らない程度にはリハビリで仕上げたけど…。いざと言う時には、自分すら守れない。
大切な人が目の前で助けを求めたら、私は何ができるのか。
できるはずのことができない。
できていたことができない…。
不自由を受け入れていたつもりでいるけど、こんな時、受け入れていないと自覚する。
だって、できていたんだ。本当はできるはずなんだ…。
できるはずだったんだ。
私だって、大切な人たちを守りたい。
まだ、できることを増やさないといけない。できなくなったことを、「できる」に戻さないといけない。
全てが『できる』に戻りたい。