闘病記

この頃には親戚にも私の事故のことはすっかり伝わっていた。

そんな中、1人の親戚のおばさんが、私に宗教の信仰をすすめてきた。

はじめは携帯に着信が残っていて、そのあとメールが来ていた。

私は、即日、メールで丁重にお断りした。

それこそ、日本人の大半の人は初詣で参拝するし、神社仏閣に行ったことが無い人なんていないと思う。

人は、神様を信じているし、信じていない。

矛盾しているけど、この表現は正解に近いと思う。

それに…、そもそも私は、自分のこの状態を「受け入れていない」。

この頃の私の感情を例えるなら『無』だった。

今でこそ、当時のことを冷静に分析して、思い出して書いているけど…。私はずっと、自分の身に起こったことを受け入れてはいなかった。

あんなに痛い思いをしたのに、一生治らない傷だらけの足になっているのに…。ビックリするくらい、他人事のように感じていた。

立てないことも、歩けないことも、「そんなわけがない」って思っていた。

誰かの本に書いてあった。

『受け入れないことは、諦めていないと言うこと』と…。

納得だった。まさに、そうかも知れないと思った。

反発心から来る「受け入れない」では無く、『諦めていない』が私の正解。

もとの自分に戻りたい。

私に必要なのは’信仰の力’では無い。