リハビリ病院には3ヶ月入院していた。
決して短くない入院だった。
唯一の心の救いは、退院の日が明確になっていたこと。
その日(退院)に向かって、日常に戻れる身体作りをする。身体を動かせるようにする。
通常リハビリでは、外を実際に歩いて日常動作の練習をする。
でも、コロナ禍入院だった私は病院敷地内の庭園を歩くことぐらいしかできなかった。
それに加え、季節は梅雨時になっていたため、天気が悪い日が多く、さらに暑くて、外に出ることが出来たのは全部で3回くらいだった。
そんな3回の中で、庭園の中の芝生を歩いたことがあった。
通常なら、芝生を歩くなんて何てこと無い動作。
この頃の私には…、芝生を歩くことができなかった。
通常の人間の足は、足首の可動域でどんな地形にもほぼ対応できる。
坂道、砂利道、砂浜、芝生…。これらは通常、足首や膝がバネの役目をしているから歩くことができる。
私には芝生を歩くことができなかった。
病院内の廊下や、リハビリ室を歩いていることで、すっかり「通常通りに歩ける」気持ちになっていた。
私は「どこでも歩ける」わけでは無かった。
庭園の中にある大きな石の砂利道も歩いてみた。
砂利道も…、歩くことができなかった。
人は本当に何気なく歩いている。
健康な足は、その何気ないことを、いとも簡単にやっている。
でもそれは、本当は、当たり前では無い。
歩くとは、本当はとても複雑な動作。
健康に歩いてくれていた過去の自分の足に感謝したい。
不自由でも頑張って歩こうとしているこれからの自分の足を
大切にしていきたい。