リハビリ病院を退院することになった。
事故から約8ヶ月振りに家に帰る。
すごく嬉しかったのだが、反面不安も強かった。
ある程度動けるようになったことで、何でもできるように思っているのだが、それはあくまで入院施設だからこそのこと。
自宅に戻って、この身体で果たして生活していけるのか…。
しかも、事故当時は真冬だったが、退院時はお盆休みも終わった残暑真っ盛り。
私はずっと快適な室温の中で過ごしてきたので、急激な気温変化に身体がついていくのかも不安だった。
退院時に看護師長さんが、「退院時の体力は本当に無いのだから、ましてや外は真夏なので、絶対無理して動かないでください」と何度も繰り返し注意喚起してくれた。
特に女性はすぐにいつも通り動こうとするから…、と何度も何度も懇願するように注意喚起してくれた。
そう、私は気になっていたのだった。家の中の状態が…。
事故で突然家に帰れなくなった。
事故の日、家の中をどんな状態にしていたのかも…、全く覚えていない。
当然だ。
私はあの日も普通に家に帰るはずだったんだ。
洗い物を帰ってからやろうと思って残していたかもしれない。
洗濯物も帰ってからやろうとしていたかもしれない。
飲みかけのお茶があったかもしれない。
何もかもやりっぱなしだったかもしれない。
家族や親兄姉がいるので、もちろん’そのまま’になってはいない。
時々私の家に出入りしてくれていた姉が言っていた。
「あの家は…事故の日から時間が止まっているよ」
カレンダーも捲られることなく、そのままぶら下がっている…と…。
私は当事者だから、痛みやリハビリを積み重ね、少しずつ動くようになっていく自分との時間経過を体感していた。
でも残された家族は、コロナでの面会規制のために、ただただじっと私の退院を待っていた。
長い闘病を経た私も忍耐強かったかもしれないが、ただただじっと待っていた家族の方が辛かったと思う。
私は1日も早く帰りたくて、指折り数えて、カレンダーばかり見ていた。
でも、自宅に残された家族は、カレンダーを捲ることができていなかった。
辛かったのだと思う。
側に寄り添って一緒に闘っていた方が良かったのかもしれない。
ただ待つ、と言うのは、とりとめが無くて…、辛いと思う。
退院の日は暑くて天気の良い日だった。
退院の事務処理を待つ間、いつも休憩に使っていた廊下の椅子に座った。
沢山の療法士さんが、代わる代わる声をかけてくれた。
沢山の看護師さんが、代わる代わる声をかけてくれた。
ああ、これでやっと、本当に家に帰れるんだ…、と実感した。
事故から約8ヶ月。
やっと、時間が動きだしたのだった。