考える

闘病記

約8ヶ月の入院を経て自宅に戻った私は、通院でリハビリ病院に行く以外はほとんど家から出ることはなかった。

と言うより、1人で家から出ることは難しかった。

1人単独で歩くにはまだまだ歩行に不安があった。

でも今の世の中、ネットで何でもできる。

食材は定期購入でき、なおかつ玄関前に置き配してくれるものを利用した。

突発の買い物やお米など重たいものは、ネットスーパーを利用した。

これらは、ある意味コロナ禍の産物で、とても便利に利用できた。

もちろん普通に買うより割高にはなるが、じゃあタクシーで自分で買いに行くのか…、と考えたら全然有りだった。

家の中では、玄関のチャイムが鳴ってもすぐに出られないので、インターホンをリモコン式に換え、携帯電話と共に並べて使った。

チャイムが鳴ってもすぐに出られなくて、玄関に行ったら誰も居なくなっていた…wなんてことが数回あったので、リモコン式のインターホンはとても助かるアイテムだった。

家の中にいても、何をやるにも時間がかかるので、家事を一通りやっているとそれなりに時間が過ぎていった。

本は休日に10冊とか、家族に本屋に連れていってもらいまとめて買っていたので、読むものにも困らなかった。

それこそ本もネットで買えるので、本は常に沢山あった。

観たい映画やアニメ、ドラマも、今はビデオショップに行かなくても動画配信がある。

私の身体は不自由になったけど、世の中は便利になった。

コロナ禍の追い風も手伝っていた。

世界的なパンデミックで人々が恐れ不安になったが、人間はそこから新たな社会を作り出す。

ピンチをチャンスに、とはこの事かもしれない。

私もいろんなシステムに助けられた。

人は考え、作り、実現させることができる唯一の生物。

不自由な身体になったのなら、

不自由をカバーできる方法を考える。

不自由をカバーできる方法を見つけ出す。

不自由をカバーできる方法に手を出してみる。

よくネットショッピングが怖いとか、キャッシュレスが怖いとか言うけれど、

私はやってみないと、良いか悪いかはわからないと思う。

便利になったことが不便なことも時にはあるけれど

それも人それぞれの価値観だから、自分の価値観がどこにあるのかは、自分がわかっていれば良いと思う。

パンデミックも、身体不自由も、

”考えろ”と言うことだったのかもしれない。