意識が無くても見えたもの

闘病記

眠っている4日間の間に家族に会っていたらしいけど、私は全く知らない。

状態がひどすぎるので、4日間薬(麻酔?)で眠らされていたらしい。でも昼夜のリズムを作るため、薬を調整して昼間は目を開けていたらしく、家族とは目を開けた状態で会ったらしい。が…、それでも私は知らない。

この時の私は、例えるなら植物状態のようだったらしく、あとで家族の誰に聞いても「あの時のことは思い出したくない」と言われる。長男に至っては、「見ていられない」と、ひどく泣いていた…と…

事故直後は病院に駆けつけた次男には会っている。

長男は就職して遠方にいたため、会うことはできなかった。

だから…、長男にとっては、変わり果てた母親の姿に耐えられなかったのだろう…。

「おかあさんね、お兄ちゃんの顔を撫でてたよ」と、あとで次男が教えてくれた。

最後になったかもしれない瞬間に、長男に会えなかったから…

無意識でも…手を伸ばしたんだろうな…

私が意識をもって家族に会ったのは、約1週間後にやった3回目の手術の後だった。私にとっては、それが初めての面会。コロナ禍だったので、1人ずつ会った。

「ごめんね…、ごめんね…」

それしか…まともに言えなかった。

事故で傷を負ったのは、私では無かったかもしれないから。