「生きたい」と言った日 ➁

闘病記

4日経って目が覚めた時に、もう1つすごくビックリ…、ショックだったことがある。

それは、その日が次男の誕生日だったこと。

目が覚めた時、看護師さんに「今日は何月何日か解りますか?」と聞かれて、私は当然のように事故当日か翌日の日付を答えた。看護師さんが「いいえ、今日はね、●月●日ですよ」と言ったその日付が、次男の誕生日になっていた。

「ええ!?」

4日経っていたことにもビックリだったけれど、首すら動かない状態で次男の誕生日の日付を聞かされたのが、何よりもショックだった。

息子の誕生日はいつもケーキを買うくらいで、何も特別なことをしてるわけじゃないけれど、息子の誕生日にこんな状態になっている自分が情けなかった。

ICU は携帯電話を持ち込めない、当時コロナ禍で面会も規制されていて連絡手段が無かった。

夕方になって看護師さんが来てくれた時に、「今日、次男の誕生日だったんだ…」と言ったら、「病院の電話から次男さんに電話してみる?いいよ!」と言って、病院の電話の子機を貸してくれた。

「誕生日おめでとう」

声もあまり出なかった。声が出ないから話すことなんてできなかった。それでも何度も繰り返し、それだけを言った。