希望的観測

闘病記

リハビリは1時間を1単位として、1日最高3単位あった。

1日2単位が標準だが、私は重傷者ということもあり、なるべく3単位やってくれているようだった。

リハビリとリハビリの間は、1時間空いたり2時間空いたりなど、その日によってタイミングは異なっていた。

リハビリ室は病棟とは別の階にあり、屋上階だったので簡易な庭園のようなものがあり、外を眺められるようになっていた。

リハビリ室はとても広く開放的だった。

多種多様なリハビリ用の機材があり、疑似体験用のシステムキッチンや和室部屋、練習用のお風呂の湯船セット、手すり付きのトイレ便器など。家に帰ってからのことを想定した練習ができるようになっていた。

コロナ禍と言うことでリハビリ室に入る人数を制限している、とのことだったが、それでも所狭しと沢山の患者さんたちがリハビリをしていた。

上肢のリハビリの人、下肢のリハビリの人…。怪我の状態は様々で、それぞれの人に合ったカリキュラムでリハビリを行っていた。

でも、やはり、見渡した範囲では私が1番状態がヒドイのが見て取れた。

それに、高齢者の人が多く、私くらいの年齢でさらに両下肢のリハビリと言う人は居ないように感じられた。

ここで、これから3ヶ月間リハビリか…

これがリハビリ病院か…

急性期病院でのリハビリは土日祝日はお休みだったが、リハビリ病院にはお休みが無い。

1日約3時間、それを3ヶ月間毎日リハビリをする。

これなら、元の身体に戻れるかも…。

そんな’希望的観測’を抱いていた私だった…。