誰かと話して、誰かを傷つけたり怒らせてしまうことがある。
逆もしかり。
世間で言う誹謗中傷のような話しは一旦遠くに置いておいて。
友人や、家族、恋人などであった場合、何かヒントやきっかけになれば…と話すことがある。
それが、相手にとって正解か不正解かはわからない。
でも、何か前に進めば…と思って話す。
それが、限りなく相手にとって不正解になったのなら、話が決裂するだろう。
でも、正解の言葉だけ聞いたり、話したりすることが正しいとも私は思えない。
不正解から見出だすことも絶対にあると思う。
正解の言葉だけ聞いたり、話したりしたら、それはそれは気分が良い状態で終わると思う。
でも、不正解を聞くことで、正解を導き出すことだってあると思う。
言葉って難しい。
人を簡単に傷つけたり、自分が傷ついてしまったりする。。
長い人生を歩いていると、自分が傷つくことも、傷つけてしまうことも、あるの繰り返し。
でも、正解の言葉だけでは正解にしか向かっていけないと思う。
不正解の言葉があるから、正解を探すことができると思う。
心配したり、心配されたりの人との繋がりの中で
正解はもちろん、不正解であっても
前に進むきっかけになるのなら、
言葉を紡ぐ。
人はAIでは無いのだから。