『犯人への恨みが、死の混乱と恐怖に勝ることなんてない。しかし、大切な者への想いは、それらを凌駕することがある。実際に死に瀕した者が最期の力を振り絞り、家族に言葉を遺す。そういうことは少なくないんだ。そのような行為こそが、現実に存在する、「本当のダイイングメッセージ」なんだろうな』
最近読んだとある医療ミステリーの中の、主人公の台詞。
著者は実際の医師で、医療ミステリーを中心に数々の著書を書いている。
そしてこの台詞を言ったのは、この医療ミステリー中の主人公の女医。
私はこの台詞を読んだ瞬間ハッとなり、何度もこの部分を読み返した。
私は事件では無いが、事故に遭い、瀕死の状態におちいった。
救急車で救命救急センターに運ばれたが、私は自分の命が終わるのを予感していた。
事故なので、もちろん’相手’はいた
でも、そんなことはどうでも良かった
救命救急センターに飛び込んできた私の家族
その時点で長男は間に合わなかったが、次男に
「お母さんに何かあったら、保険があるからそれを使いなさい」
次男はその頃、まだ大学生だった
親の勝手で母子家庭にしてしまったため、大学費用は奨学金と私の少しの貯金で賄っていた
遺された次男の生活と、お金のことが何より心配だった私は
保険があること
それを伝えること
最期にそれを伝えること
それだけしか頭に浮かんでこなかった。
冒頭の台詞を読んだ時、まさにその通りだと思った
病気で死と向き合う時間があるなら、また違う言葉がでてくるだろう
でも、突然やってくる死に、浮かぶのは…。
フィクションのミステリー小説でも、フィクションでは無い感情が見えることがある